想いを繋ぐライフログにお越しいただき、ありがとうございます。
運営者のつむぎ(紡希)と申します。
当ブログは、難聴・聴覚障害をテーマに情報展開することを目的として2025年3月3日・耳の日に開設したメディアです。
このページでは、筆者のプロフィールを紹介します。
プロフィール

運営メディア情報
運営者 | 紡希(つむぎ) |
ブログ名 | 想いを繋ぐライフログ |
ブログURL | https://sentikupli.com/ |
Twitter X | @sentikupli |
@sentikupli |
筆者について
職業 | クリエイター |
趣味 | 映画鑑賞・写真撮影 |
特技 | 観察力・洞察力 |
障害種別 | 聴覚障害 |
障害等級 | 身体障害者手帳3級 |
筆者の聴覚障害について
筆者の症名は、生まれつき両耳に聴覚障害をもつ先天性感音難聴です。
人間の聞こえはお腹の中にいる時からできていますが、その聴覚が本格的に発達し始めるのは言葉を習得し話せるようになる2歳頃からといわれています。
そして3歳くらいから急激に成長し、聴覚が完成するのは8歳くらいです。
言語発達の遅れから気づく聴覚障害
そのため3歳児健診で言葉を発しないことから耳が聞こえないことが発覚し、幼児時代のうちに母による言語訓練を受けました。
ポケット型補聴器を装用しながら、単語カードを使って物の名前を覚えたり絵本を使って名詞や動詞を身につけていく方法でした。
同時に漢字やかけ算九九など、小学校で困らないように3~4年生までに学ぶ学習を進めていきました。
学生時代はマイペースで自己流
小学校時代はマイペースだったのかあまり記憶がありませんが、習字や英語の教室に通わされていました。
習字は級が上達していくのが楽しかったものの、聞き間違いの多い英語は好きではなかったため小学校卒業前に止めています。
中学時代は部活に明け暮れ偏差値より低い安全圏の県立高校へ進学したため、比較的苦労をしたことはなかった気がします。
大学進学で都内へ上京したのは、自分の可能性を試したかったというのが大きいです。
早い段階から自立心が芽生えていたため、自身の偏差値から合格可能な大学が東京にしかなかったのもあります。
地方でしか見えなかった世界が広がり、あらゆる情報があふれる東京での生活は新鮮でした。
研究の進歩によってわかった障害
幼少時代は当時で耳鼻咽喉科での研究があまり進歩していなかったこともあり、地方の大学病院では内耳での異常がなく感音難聴という診断でした。
しかし大学進学で上京し、新卒で入社した会社の診療所で出会った現在の担当医による大学病院での精密検査により内耳形成異常を認めました。
そして地方にいた頃に交付された身体障害者手帳の等級が6級から4級に変更になりました。
当時は外耳・中耳・内耳に異常がなくても、他の病院で診察を受けると異常がわかることがあります。
そのため可能であれば、期間をおいても複数の病院で診察することをおすすめします。
そして、現在
その後、2度の転職を経て現在は情報系企業に勤務しています。
前職での経験を活かして、Webのデザインやコーディングをはじめデジタル画像制作に携わっています。
身体障害者手帳の等級も更新になり、現在3級です。
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